原発安全神話ー3 [原発・原発事故]

原発安全神話が日本に生まれてきたその背景についての分析です。

‘Safety Myth’ Left Japan Ripe for Nuclear Crisis
Entering a New Age

「大意3」   「大意1」   「大意2」

日本が原発促進へと進んで行った始まりは、原子力時代の始まりの時までさかのぼることになる。

1945年8月、のちの大物総理大臣となる海軍青年将校中曽根康弘は西日本に駐留していた。
「広島上空に立ち上る原爆のきのこ雲が見えた。その時、これからは原子力の時代だと感じた」と1960年代に書いた論説の中で述べている。

石油や自然エネルギーなどが乏しかったために、第2次世界大戦へと走り、そして敗れた日本。エネルギーを自給自足できるようにするため、原発促進を国の目標と定めてきたのである。原発を扱えるようになれば、やがては核兵器の開発への道も開けてくるとの考えもあった。

左翼系の政治家、学者、知識人などは原発推進には反対するが、推進派は原発の安全性を強調する。電力事業者や経済産業相は宣伝や教育活動に何百万ドルもの予算を投じた。原子力安全保安院は今年、こうした宣伝活動のための予算を1200万ドル獲得した。同省代表の杉本孝信氏は「原子力安全保安院は安全性のみを強調してきたかもしれない」と述べている。

日本原子力文化振興財団の代表取締役で元関西電力の技師だった横田光彦氏は「原発の専門家たちはこれまで原発は絶対に安全だということを伝えてきた。これが安全神話へとつながっていったのは残念だ」と述べている。

政府の言うことを国民が簡単に信用してしまう国では、原発の安全性を国がいったん保障してしまえば、チェルノブイリのような原発事故が起こっても、国民は簡単に原発安全への考えを変えることにはならないのである。



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