大津波記念碑ー先人の教えが子孫を守る [東日本大震災]

大津波記念碑が子孫を津波の被害から守る
姉吉大津波記念碑2.jpg

縦約1.5メートル、幅約50センチのこの石碑には住民の先祖から次のような教えが刻まれています。
「此処より下に家を建てるな」(Do not build homes below this point!)

この石碑は一躍日本のみならず海外でも有名になりましたが、ニューヨーク・タイムズの東京支局長のマーチン・ファクラー氏がこの石碑のことを記事として取り上げ、かなり詳しく述べています。

さすがに日本通の方だけのことはあって、我々日本人でも知らないようなことをかなり細かく取材して記事にしています。

ニューヨーク・タイムズが取り上げたことでますますこの石碑は世界的に有名になり、石碑ブームが起こるのではないでしょうか。

マーチン・ファクラー氏の記事を少しまとめてみます。
英文記事はこちら
Tsunami Warnings, Written in Stone

此処より下に家を建てるなーこの先祖からの教えに従ったため、3月11日に発生した大津波の被害から岩手県宮古市の姉吉地区の住民が被害を免れた。
「先祖は津波の恐ろしさを知っていたので、石碑を建てて私たちに警告していてくれていたのです。姉川の住民はみなこの先祖の教えを守ってきました。」と語るのは姉吉地区自治会長の木村民茂さん。

三陸海岸には津波の被害を伝える石碑が約200基見られるが、これらは過去に幾度となくこの地区が津波の被害に見舞われたことを示す証拠となっている。

ところが現代の日本は、高度に発達した科学技術や、より高いところに防壁を建てれば津波を防げるものと過信し、こうした先祖の警告、教えを忘れたり、無視したりして、また同じ苦い経験を繰り返す羽目に陥っている。

姉川地区住民のように、先人たちの教えを守ってきた住民はごくわずかとのこと。戦後、海岸地区の町が好景気に沸いてくると石碑や警告のことは無視されてきた。そのためこれまで高いところに移り住んでいた人もまた仕事に便利な沿岸部近くに戻ってきてしまった。

三陸沿岸部は1896年と1933年の2度にわたって大津波の被害に遭い、1933年の昭和大津波後、姉吉村は高い丘のところに移り住み、そして大津波記念碑を建てたとのこと。実はこの石碑はどこに家を建てるべきかを示した唯一の石碑でもある。

東北沿岸部地域には津波と関連のある地名がある。津波による被害者が集まった谷という意味の残り谷(のこりや)、それから波が分け入って来たことに由来している浪分(なみわけ)などがそうである。

今日では石碑というと、ほとんどの人にとっては過去の遺物で、難解な古めかしい言葉が書かれているものと思われているが、今回の東日本大震災で石碑の先人の教えが見直され、石碑を保存する動きが出てきている。

※大津波の恐ろしさを後世に伝えようと先祖が建てた石碑、これは日本が世界に誇れる遺産ではないでしょうか。

東北地方の被災地が復興したら、この石碑は観光名所になるかもしれません。
でも「のど元過ぎれば熱さを忘れる」は人の常です。
そのころにはまた石碑のことなど人々は忘れてしまうのかもしれません。

「高き住居は児孫の和楽/想へ惨禍の大津波/此処より下に家を建てるな」



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丸山良国

こんにちは、はじめまして。
ブログ「大津波記念碑ー先人の教えが子孫を守る」読ませていただきました。
心打たれる内容で、とても共感できるサイトだと感じました。

私は、この東日本大震災のことを、後世へ300年も400年も残さないといけないと考えています。被害の大きさはもちろんのこと、亡くなられた方々のこと、あるいは大切な人を亡くしてしまった方々のこと、または、ボランティアで行かれた方々のこと、様々な側面から一つの「サイト」としてまとめようと行動しております。全部で50から100くらいをまとめたいと考えます。

そこで、あなた様のサイトもリンクをするとともに、内容をそのまま紹介させていただきたいと思いますがいかがでしょうか。宜しくお願い致します。

私は、Book&Booksといいます出版社を経営しておりますが、今回はビジネスとは一線を画して行います。どうぞ宜しくお願い致します。丸山良国

by 丸山良国 (2012-07-20 22:42) 

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